心の健康とはどういう状態なのでしょうか?
2.1 WHO憲章の「健康」の定義
日本WHO協会の翻訳によると
「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、全てが満たされた状態 にあること(日本WHO協会ホームページより)」
とあります。
かなりポジティヴな定義ですね・・・.
2.2 厚生労働省の「精神の健康」の定義
厚生労働省のホームページには、
- 自分の 感情に気づいて表現 できること(情緒的健康)
- 状況に応じて適切に考え、 現実的な問題解決 ができること(知的健康)
- 他人や社会と建設的で よい関係を築ける こと(社会的健康)
- 人生の目的や意義を見出し、 主体的に人生を選択 すること(人間的健康)
と書いてあります。
もう少し突っ込んで書いてあるけど、ちょっと分かりづらいですね・・・・。
2.3 精神医学の精神の障害の定義
私の持っている精神医学の教科書(現代臨床精神医学 改訂第11版)には、「疾病(病気、病的)とは、平均からかけ離れ、しかも生存に不都合、不利な状態」と記載があります。
病的とは、「平均からかけ離れ、生存に不利な状態・・・」。
2.4 精神医療の対象
私は長らく、精神医療の対象は、「本人が悩んでいる、あるいは周囲が悩んでいる状態」と考えて仕事をしてきました。駆け出しの頃、何かで読んだのかもしれません。そしてほとんどが「本人が苦悩している」状態が中心となります。後者は、例えば「ゴミ屋敷の住人」など、疾患があるのかもしれませんが、私たちの前には、なかなかいらっしゃいません。
また、「本人の苦悩」にもレベルがあり、「日常生活、社会生活に支障をきたしているもの」が対象と考えています。仕事、家事、通学などに支障が出ているレベルです。
仕事や学校に行けなくなったり、家事ができなくなったりというレベルだね・・・。
抽象的なことを並べてきましたが、少し具体的なことを例に挙げます。「失恋で落ち込んでいる人」などどうでしょうか?一般に、失恋、受験の失敗などは、人生における苦難ではありますが、疾患ではありません。医師に相談するより、お友達に話を聞いてもらうべきものと考えます。
しかし、それは一般論であり、それがきっかけで、3日間一睡もできなくなり、食事も入らず、体重が1週間で5キロ落ちたなどとなると話は別です。仕事に行けない、行ったとしても仕事にならない、家事が全くできないとなると医療の対象かもしれません。生物の基本機能に影響が出て、社会機能が低下してきたら、医療の対象の可能性があります。
よく、「こんなことで病院に来てよかったのですか?」と質問を受けることがありますが、そういう場合、病院に来るレベルになっていることがほとんどです。程度の見極めに、基本的な生物としての状態(睡眠、食欲など)や社会機能は指標になります。
2.5 どういう状態を目指すのか?
上の定義から「平均からかけ離れ・・」とある通り、極端な状態から平均的な状態を目指すこととなります。
「ふつう」を目指すということ・・?面白く無いね・・・。
上の「平均的な状態を目指す」とは、集団の中での平均的を指します。不安、恐怖が強すぎるものを軽減して人並みに近づけるという意味です。落ち込み、意欲低下、不眠などもそうなります。医療ですから、ネガティヴな状態を平均的な状態に近づけるということです。
一方、その人にとっての「ふつう」を目指す意味合いもあります。人にはそれぞれ個性があり、その人なりの心のバランスポイントがあるように思います。何でも平均的なものを目指せるとは限りません。
確かに「ふつう」を目指すことだけど、その人としての「ふつう」の意味もあるのです。等身大のその人に戻るとも言えます。
例を挙げましょう。コレクターで検討してみます。何かを集めること、それはたいてい誰でも経験があり、何も問題ありません。むしろ個性を主張できたり、仲間ができて交流できたりして楽しいことかもしれません。
コレクターを例にしていますね・・・。
しかし行き過ぎると、どうしてもレアなものが欲しくなり、お金を注ぎ込んでしまったり、手段を選ばなくなってしまったりすることにも繋がります。そうした時「意地でも欲しくなる」ことはないでしょうか?「意地でも」が引っ掛かります。何の「意地」なのでしょう?
「コレクションをどうしても完璧にしたい」と「完全」を求めたくなったりします。虫食い状態で全てが揃っていないコレクションが「美しくない」「すっきりしない」と感じたりはしませんか?「完全」「完璧」を求めたくなるのも人間心理ですが、しばしば落とし穴になります。「完璧主義」の弊害というやつです。
またコレクターの仲間の中で、「すごい」と言われたい気持ちもないでしょうか?そこが自分の存在の場であり、そこに全てを賭けていないでしょうか?時に、コレクター仲間からの評価が、家族や職場の人からの評価よりも大切になってしまったりします(そういう関係は、一時的なものであることがおおいですが・・・)。誰でも大切にしたいものはあります。しかしそのために日常生活、社会生活に影響が出るようでは問題となります。
人形や、カードに大金を遣ってしまったり、借金が残ってしまうとやはり問題と言わざるを得ません。
最初に戻りますが、「極端」「過剰」から「平均」「普通」を目指すのが治療ということになります。「行き過ぎたコレクションから、通常のコレクションへ」が治療の目標ということになます。集め出すと、すぐに熱くなってしまう人の場合、コレクションはやめて、別の趣味を探すことも目標になるかもしれません。この辺りは、依存症の治療で詳しく述べる予定です。