「心」は社会から影響を受けています。人の集まりの相互作用を利用して、治療を行う方法として集団精神療法というものがあります。グループセラピーとも呼ばれています。いくつか具体例を上げると分かりやすくなると思います。病院で医師や看護師が、患者さんを集めて話し合うものなどがそうです。うつ状態になって休職した会社員の方が集まって行うリワークプログラム(後述)なども典型的なものです。高齢者のデイサービスで、集まって昔話をするグループなどもあります。NHKなどで司会者がいて、一般の参加者などが自由に議論しているものなどもその雰囲気に近いものがあります。人が集まって、話し合うことが癒しにつながるのです。では、どういうことが治療効果をもたらすのか見てゆきましょう。
集団療法の治療を見てゆくことにしましょう・・・。
3.1 集団精神療法の治療因子
集団療法の大家のヤーロム(Irvin D.Yalom)という人がいます。彼は、治療因子として11の因子を提案しています。
これだけ見ると何を言っているか分かりにくいですが、一つ一つ見ていきますね。
- 希望をもたらすこと
- 普遍性
- 情報の伝達
- 人の役に立てること(「愛他主義」とも訳されています)
- 原初的家族関係の修正的反復
- 社会適応技術の発達
- 模倣行動
- 人間関係の学習
- 集団の凝集性(一体感)
- カタルシス
- 実存的要素
です。一つ一つ見てゆきましょう。
3.1.1 希望をもたらすとは
あなたが、クレジット・カードで服を買い過ぎてしまい、自己破産に至ったとします。家族に勧められて、買い物依存の会に参加したと仮定します。初めて参加するとき、どんな気持ちでしょうか?どんな人が集まっているのだろう?私は、最低な人間ではないか?など不安や自己嫌悪感でいっぱいかもしれません。勇気を出して参加してみると、周りは、皆、普通の人にみえ、中には素敵な女性もいました。話を聞いてみると「私よりひどい買い物依存だったんだ・・・」と分かります。でも、現在、回復していて、あのような素敵な女性でいられる・・・。「私も回復できるかもしれない」と思えるかもしれません。これが「希望をもたらす」です。また、自分より状況がひどく、取り乱していた人が、回を重ねるごとに回復していく姿を観察できたりします。これも「私も回復できるかもしれない」と思えるかもしれません。そう思えることが、何より回復の第一歩です。
この効果は、非常に大きなものです。医師やカウンセラーと一対一の治療では、得にくい体験なのです。グループセラピー特有の治療効果と言えるでしょう。
3.1.2 普遍性とは
あなたは、買い物依存の会に初めて参加しました。10人も参加していました。それまで「自分の持っているお金以上に買い物をし続ける人間なんて、そうそういない。こんな話は恥ずかしくて誰にもできない」と考えていましたが、「自分だけではない!」「似た境遇の人がたくさんいる!」「この悩みを話題にできる!」と思えたとしたら、どれほど「ほっ」とできるでしょうか。これがヤーロムのいう「普遍性」の効果です。
3.1.3 情報の伝達とは
あなたは、治療者から「このような会が、この県に10個以上ある」と言う話を聞きました。この「情報の伝達」によって、「私のような人がまだまだたくさんいる」と安心できるかもしれません。上記の「普遍性」の効果がさらに広がりました。
他の参加者が、「私はカードは親に預けて、現金のみで買い物するようにしている」という情報を伝達してくれました。「買いたいと思った時に、30分我慢して見て、それでも欲しいと思ったら買うことにしている」など、さまざまな体験談を聞くことができました。「私もそれをやってみようかな」と思えて、実践してみたくなるかもしれません。これが「情報の伝達」効果です。アルコール依存症の会などで、医師からアルコールの弊害を伝えられることなども典型例です。治療者からの伝達、参加者相互の伝達、両方あります。
3.1.4 人の役に立てること(「愛他主義」)とは
あなたは、買い物依存の会に5回目の参加です。そこに初めて参加してきたAさんがいました。その人が、「あなたを見ていて、私も頑張ろうという気持ちになった」と言ったとします。最低だと思っていた自分が、人に勇気を与えている!こんなに元気になることが他にあるでしょうか?あなたが「『衣類は、とにかく半年間はあるもので回してゆく。半年は、一切購入しない』と決めて3ヶ月実行できている」と話したとします。次回、Aさんが「そのアドバイスを私も取り入れて、現在努力している」と話してくれたとします。「私は、人の役に立てている!」と感じることができるかもしれません。ズタズタだった自尊心が少し回復しそうです。
3.1.5 原初的家族関係の修正的反復とは
あなたは、買い物依存の会にだいぶ慣れてきました。「そうそう」「えーっそうかな・・?」など感じていましたが、あまり口に出さずにいました。リーダーの人から「もう少し意見を言ってください」と促されてしまいました。あなたは、これまでの人生で集団の場では、あまり自分の立場を表明せず、周囲の情報を受け取ることに神経を使い、流れを見て無難な相槌を打つことで、いつもグループを乗り切っていました。そこをリーダーに突かれた形です。あなたの家庭では、父親が家族の意見を聞かず、意見すると怒られてきたために、そういう処世術が身についていて、そこに問題を感じていませんでした。いざ、自分の意見を言おうとすると、急に自信がなくなり、恐怖心すら覚えました。リーダーに「自分の意見を言わないことは、他のメンバーに貢献できないということですよ」と、グループにおける相互性のことを伝えられ、再度促されました。あなたは勇気を出して、やや全体の流れに逆らうような本音を言ってみました。しばらく沈黙の後、グループメンバーから「そういう考えをする人もいるでしょうね」と、拒否されず、一意見として尊重されたと感じました。「こういう意見を話しても良いのだ!」とあなたは、感動するかもしれません。周りからみると普通に流れていくようなグループでの意見交換でしたが、あなたにとっては気持ちを揺さぶられることでした。
子供の頃のことは、刷り込まれてしまっているものね・・・。
このように、幼少期の体験で刷り込まれた自分の考え方、感じ方が、「修正されて」(この場合、思い切って流れと違う意見を言ってみること)、知的な理解だけでなく、「感情的に体験される」(この場合、受け入れられて、ほっとする、感動すること)と、徐々に言動に変化が見られると言われています。アレキサンダーというシカゴの学者が「修正感情体験」と名づけました。理屈で理解するだけだと変化が起こりにくく、感情が動く体験になると効果的だとされています。集団療法においては、しばしば大きな治癒因子となるとされています。
私たちは、両親が不仲であったりすると、強い方に迎合したり、逆に強い方に逆らって弱い方を守ろうとしたり、後でこっそり弱い方を労ったり、場を和ませようとおどけて見せたり、わざと失敗して見せたりなど、色々としているのかもしれません。そのために、のびのび生きられず、窮屈で、しんどい日々を送っている可能性もあります。
3.1.6 社会適応技術の発達とは
あなたが、服を買い過ぎてしまうのは、店員さんからの勧めを断れないということがあったとします。そのことをグループで話してみると、リーダーが「それでは、私が店員さんの役をやってみましょう。上手に断ってみてください」と役割練習を提案されました。(ロール・プレイング)
参加者の皆さんに色々とアドバイスを受けながら、役割練習をこなします。他の参加者が店員の役を買って出てくれるかもしれません。あるいは、自分が店員の役をやることになるかもしれません。人の立場に立ってみると、全体像が見えることもあります。グループでは、やりとりの練習をしたりしながらも、他のメンバーからの指摘(つっこみ)も入り、刺激的です。役割練習を経てから、次のグループの日までにお店に行きます(ホーム・ワーク)。今までよりは、うまく断れるようになるかもしれません。そこでのやりとりをグループで報告できると素晴らしいです。連続性が生じるとグループの一体感も強まります。
このような役割練習は、社会適応技術を高めます。最近では、様々な治療グループで、セクハラやパワハラにどう対処するか?上司から自分の能力以上の仕事を振られた時にどう対応するか?自分の都合だけで誘ってくる友人の誘いをどう断るかなど色々な役割練習がなされています。
3.1.7 模倣行動とは
グループの参加者の立ち居振る舞いをお互いが見ていることになります。意見や感情の表出が激しい人もグループに受け入れられ、異性メンバーからの受けも悪くないことなどをみていると、抑制的なあなたも、自分を表現しやすくなるかもしれません。素敵に見える人の服装、喋り方なども、意識的、無意識にも取り入れていくこともあるでしょう。集団における良い作用の例です。
3.1.8 人間関係の学習とは
症状は、人間関係で出てくることが多いのです・・・。
買い物依存の会に出始めたあなたは、服のこと、借金のこと、意志が弱いことなどばかり頭にあるかもしれません。しかし、人間の心の症状は、多くは人間関係に起因すると言われています。グループへの出席を重ねるうちに、「買い物と言っても、多くは服ばかり・・・なぜ私は、服に執着するのだろう・・・?いろんな場面に対応できる服が欲しいと、様々なパターンの服を揃えてきた・・・体型が変わったら全てダメになってしまうのに・・・」などと理解が深まってきました。「そうだ・・・私の服は、おしゃれのためじゃない・・・防御だ・・・どこへ出ても恥ずかしくないように武装しているのだ・・・武装しないと人前に出られないのか・・・」。リーダーから「裸のお付き合いはできない?」などの質問を受け、徐々に、対人関係の問題から買い物行動に出ていたことに理解が移ってきました。子供の頃、お父さんが怖かったので、ビクビクして、その場をとりあえず円満におさめることに腐心して育ってきたこと、中高時代は一生懸命勉強することでなんとか問題なく過ごせてきたこと、社会人になって気がついたら、自分は何をしたいのか分からず、空虚な苦しみに襲われたこと、洋服で武装して不安を誤魔化していたことなどに考えが至るかもしれません・・・。3.1.5で述べましたが、思い切って意見を話したら受け入れられたことなどを重ねながら、徐々に考え方や行動が変わっていくことでしょう。
私たちは、育ってきた環境から受ける影響でどうしても歪んだ受け止め方(歪んだ認知)などが生じてしまい、生きづらくなってしまいます。人間関係の問題が、症状として出てくるので、症状ばかり(買い物、落ち込み、不安など)に目がいってしまいますが、人間関係の問題と繋がっていることが分かると変化しやすくなる傾向があります。
この治療因子を強調するのは、ヤーロムの立場だと思います。人間関係と症状には、様々なグループで焦点を当てると思いますが、生育歴にまでフォーカスを当てることはしないグループもたくさんあると思います。
3.1.9 集団の凝集性(一体感)とは
凝集性という難しい言葉で訳されていますが、一体感と言い換えても良いかもしれません。同じ目標をもち、自由に意見が言えて、受け止めてもらえるグループにいると、それだけで治療的といえます。それまで、孤独に苦しんできたのですからなおさらです。メンバーが入れ替わらずにいるとより一体感が出やすいとされています。
3.1.10 カタルシスとは
カタルシス(浄化)とは、抑えられていた感情が解放されることです。言えずにいた買い物、借金のこと、子供時代に人の顔色ばかり窺ってきたこと、トラウマの体験など思い出し、皆の前で話し、思わず涙が出てくるような体験のことです。
3.1.11 実存的要素とは
ここでいう「実存的要素」とは、「人は最終的には一人で死んでいかなければいけない」など、人としての限界にまつわるようなテーマのことです。買い物依存の会で、こういうテーマが語られるかどうかは、展開によります。しかし「がん闘病のグループ」「配偶者を失った人の会」「犯罪被害者の会」「被災者のグループ」などでは、こういうテーマが必ず入ってくると思います。「死」などのテーマを話し合うと、向き合えない人には短絡的に自棄的な行動を誘発することも考えられますが、自分からグループに参加する人には、そういうテーマに向き合うことは治療的な意味を持ちえます。現実にきちんと向き合うことは、建設的になりうるからだと思います。
3.2 集団療法 効果のまとめ
集団療法の治療効果を、簡単にまとめます。治療グループに参加すると、「自分と同じ悩みの人がいる」(普遍性)という安心感が得られ、明るく振る舞う参加者を見て「自分も治るかもしれない」と思えたりします(希望をもたらす)。同じ悩みについて、情報交換できます(情報の伝達)。また自分の体験談が人の役に立つこともありえます(愛他主義)。人の役に立てると、私たちは苦しくても前に進めます。自分に染みついたコミュニケーションのパターンが、他者に受け入れられて、修正できることもあるかもしれません。「ノーと言っても、拒否されないんだ!」などです(原初的家族関係の修正的反復)。ロールプレイをしてみたり、している他のメンバーを見て、色々と勉強になります(社会適応技術の発達、模倣行動)。自分の言動をリーダーや、他の参加者からフィードバックを受け、洞察を得ることもあります(人間関係の学習)。誰にも話せなかったことを、皆の前で話せて、重荷を下ろしたようなすっきりした気持ちになれるかもしれません(カタルシス)。そういうことを経ているうちに、グループが大切に思え、このグループを大切にしたいという一体感が得られることもあるでしょう(凝集性)。こう言う気持ちは、何よりも心の栄養になります。私たちの人生は、限りがあり、どうしても別れが必然である悲しさも現実のものとして受け入れられるようになるかもしれません(実存的要素)。こう言うことが、さまざまに起こって、各メンバーが改善してゆきます。リーダーは、こうしたプロセスがうまく進むように促したり、刺激したりします。バラエティー番組のMCの動きに近いかもしれません。
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3.3 様々な集団療法
色々な集団療法がありますが、代表的なものを簡単に紹介します。
3.3.1 精神科デイ・ケア
デイ・ケアは、病院やクリニックが行っているもので、「医療」の枠組みに入ります。以下の表のように、プログラムがあって、患者さんが通ってきて、集団で作業をしたり、話し合ったりします。例えば下の表では(想像上のプログラムです)月曜日は、午前中は「調理」をして、皆でカレーを作ったりします。お昼に皆でそれを食べます。調理は、五感を使う作業ですし、自分の生活に直結しますので、どこのデイケアでもたいていプログラムの中に入れていると思います。午後から「運動」ですので、近くのグランドに移動して球技をしたりします。SST(生活技能訓練)もあることが多いです。基本的な対人関係のスキルを向上させます(挨拶、誘い方、断り方など)。芸術療法(音楽、絵画、書道など)、作業療法(園芸、陶芸、革細工など)もほとんどのデイ・ケアで採用されていると思います。
中心的なスタッフは、看護師、精神保健福祉士(ソーシャルワーカー)、心理師、作業療法士などですが、そこに医師も参加し、各種専門家(料理、陶芸、音楽療法士など)も加わります。その中に様々な世代の患者さんが参加することになります。長らく自宅に引きこもって療養していた方などが、参加すると非常に大きな刺激を受けます。最初は、非常に緊張すると思いますし、恐怖感すら覚えるかもしれません。それでもうまく集団に入れるようになると、非常に治療効果が大きくなります。男女でレクリエーションなどをすると、子供時代のような気持ちにもなったりもします。毎日、朝起きて、出かけて行って、夕方まで過ごし、帰ってくるというリズムができるだけで劇的な変化といえます。上記の集団療法の治療効果、すべてが作用しうるのです。もちろん、人間が集まるわけですから、トラブルもあり得ますが、スタッフが複数いるのでフォローできることが多いです。精神科治療の大きな武器となっています。
3.3.2 リワーク・プログラム
「リワーク」とは、「リターン・トゥー・ワーク」の略です。「仕事に戻る」つまり「復職支援プログラム」のことです。私は、患者さんに「リ(再び)働く(ワーク)」と話したりもします。うつ病や、適応障害で会社に行けなくなった人などに集まってもらって、復職を目指してゆくプログラムです。以下にプログラム例を載せます(実際のものではないです)。利用者が、特定の場所に通い、集団で復職を目指すものです。
医療で行われるものと障害者職業センター(厚労省ホームページ)で行われるものがあります。医療で行うものは、前章で述べたデイ・ケアの枠組みで行われています。障害者職業センターは、各都道府県に少なくとも一つはあり、そこで行われているものは、無料であり、会社、本人、主治医の連携のもとで行われます。期間は3ヶ月間です。
上の仮想プログラムをご覧ください。月曜日、朝は、瞑想をして心や体を整えます(マインドフルネス)。午後は、読書をしたり、新聞を要約したりなど、知的作業のリハビリをします。火曜日は、輪になって、自分のしんどくなった状況などを話し合います。集団療法の効果が出ます。午後の芸術療法では、皆で音楽をしたり、DVD鑑賞をしたり、ペン習字で写経をするなどします。水曜日は、午前中、皆で体を軽く動かして、午後は、アサーション・トレーニングをします。自己表現の練習です。コミュニケーション・スキルの向上ですね。リンクを参考にしてください。他にも、自由な議題で話し合ったり、パソコン操作の時間があったりします。ゲームなども日頃していない人には、脳の活性化に良いかもしれません。苦手な表計算ソフトの使い方や、お絵描きソフトの使い方など教えてもらっても良いかもしれません。土曜日に、集団で認知行動療法を行っています。
このリワークプログラムは、非常に効果が高く、私の経験でもこのプログラムを経ると、高率で復職が成功しています。障害者職業センターのものは、公的なもので費用もかからず良いのですが、希望者が多く、待機期間が長かったり、公務員の利用ができなかったり、通える期間に限度があることなどもあり、医療機関への利用も増えています。
3.3.3 各種の疾患の集団療法
グループ療法には、様々な疾患を選んで行うことも多いです。なぜなら、自分と同じことで苦しんでいる人が集まった方が、グループの一体感(凝集性)が高まるからです。「うつ病のグループ」「摂食障害のグループ」「アルコール依存症のグループ」「薬物依存症のグループ」「ゲーム障害のグループ」「クレプトマニア(窃盗症:万引きなどを繰り返してしまう人)のグループ」最近では「性加害者のグループ」などもあります。精神疾患ではなくても「大切な人と死別した人のグループ」「被災者のグループ」「犯罪被害者のグループ」など、ニーズはたくさんあります。
しかしニーズがある一方で、なかなか利用したいグループが潤沢に存在しているわけではないという問題もあります。最近は、zoomなど遠隔で行われているものもあるようで、今後の発展が望まれます。
3.3.4 自助グループ
自助グループをここに書くべきかは議論があります。なぜならこれは、患者さん(当事者)だけで運営されるものですので、厳密には治療とは言えないからです。しかし、ある意味、医療における治療以上の効果、役割を担っており、非常に治療資源として有用なものですのでここに記載します。特に「依存症」と呼ばれる状態の人の回復に有効です。
代表は、アルコール依存症の「断酒会」です。毎週、週末の夜などにアルコール依存症の方が集まって、順番に自分の体験談を話して行きます。奥様など家族も参加可能な会もあります。専門家の参加は原則無いのですが、非常に断酒生活を維持する効果があります。お酒をやめ続けるということは、すごく大変なことで、普通の人でも飲酒を全くせずに生活するというのは、会社や、友人との飲み会などもあるために、困難を極めます。そこで、週に一回、皆で集まって、成功を確認し合いながら日々の生活を送ってゆくことになります。アルコール依存症専門の診療所などでは、「院内断酒会」と言って、クリニックの部屋を開放して、この会への導入を促しています。集団で「断酒」という目標を掲げて営まれるので、当然前記の集団療法の治療因子が作用することになります。「5年表彰」「10年表彰」など、何年間、何十年間と続けて参加して表彰されている方もいると聞きます。
断酒会に似たもので「AA」というものがあります。「アルコホーリックス(Alchoholics)・アノニマス(Anonymus)」の略称です。「アノニマス」とは、難しい単語ですが、「匿名の」という意味で、簡単に言うと、参加する時に名前、身分を明かさなくて良いということです。断酒会では、「⭕️❌商店の山下さん」など、名乗って参加します。名乗る分、一体感は強まりますが、プライバシーは保たれません。参加しにくい面もあります。AAは、アメリカ発祥であり、アメリカでは教師、医師など身分を明かしたくないアルコール症の人も参加しやすいようにこう言うものが作られたと聞いたことがあります。どちらも良し悪しありますが、参加することに非常に意義があります。
他にもギャンブル依存症の人たちが集まる「GA(Gamblers Anonymus)」、買い物依存症の人たちが集まる自助グループ、摂食障害の人たちが集まる自助グループ、性加害者の人たちが集まるグループなどがあります。気になる方は、地域の自助グループを探して参加してみてください。参加するには、勇気がいると思います。恥ずかしさ、プライドの傷つきなどもあるでしょう。しかし、「そんなことは言っていられない」、「なんとかしないと・・・」という気持ちになって、一歩踏み出せると、それだけでも大きな一歩となりえます。
3.3.5 オープン・ダイアログ
北欧フィンランドで生まれた画期的な治療法です。
「オープン・ダイアログ」とは、何でしょうか?「開かれた対話」と訳されています。北欧のフィンランドで生まれた統合失調症や、すべての精神疾患の画期的な治療法と紹介されてきました。半信半疑で話を聞いてみると(本を読んでみると)、その内容は衝撃的でした。ヤーコ・セイックラ教授という家族療法の心理師が中心となってできてきた治療実践のようです。簡単に言うと、患者さんに何かあると、治療スタッフが尋ねて行って、ひたすら話し合うというものです。薬物は補助的で、なるべく用いないようにして、ひたすら話し合うだけで、状態が良くなるというものです。治療成績はかなり良いとされています。概略を以下に記します。以下の記述は、主に「オープンダイアローグとは何か」(斎藤 環 著・訳 医学書院)「感じるオープンダイアローグ(森川 すいめい著 講談社現代新書)」を参考にさせていただきました。
フィンランドの西ラップランド地方にあるケロプダス病院で1980年代に作られていったらしいです。
1:依頼があったら、24時間以内に治療チームを作り、ミーティングを開く。
場所は、患者さんの自宅であることが多いようですが、何処でも良いようです(もちろん病院やクリニックでも)。患者さん本人とその家族、その他本人に関わる重要人物(例えばガールフレンド、隣人など)が参加し、治療スタッフは医師、看護師、心理師、精神保健福祉士などでチームを構成します。そして、患者さんの危機があり、依頼があれば、チームで毎日でも続けるそうです。チームの構成員は、同じスタッフで行くとのことです。連続性が保たれます。行われる時間も1時間、90分など決めて行われる場合もあれば、無制限で行うこともあるようです。無制限で行なっても、1時間半くらいで大体一段落着くそうです。必要であれば、翌日でも可能なので、落ち着いて話を終われるようです。次回についても、予約して決める場合もあれば、希望があれば連絡するという終わり方もあるようです。
時間を決めて、定期的に会うようなものでは、無いのね・・・必要なら毎日でも・・・。
2:本人なしでは何も決めないというルールがあります。
強制治療などをしてきた精神医療者には、なかなか難しいルールです。例えば、家で暴れ出す思春期の男の子の家族など、ほぼ必ず親御さんが「本人には内緒であらかじめお話ししたい」と言ってこられます。そういう話には一切乗らないで、皆で同時に話しましょうという方針です。なかなか勇気のいることです。「オープン」に「透明性を保って」やるということです。スタッフだけのミーティングもしないようです。いわゆる「カンファレンス」「症例検討」などが無いとのことです。あらかじめの準備なく、いきなり患者さんや、家族を前にして全てが話し合われるという方針です。芸人さんに喩えると、打合せなく、即興で、観客の前でお題を出される感じですね。チームで対応するから可能なのだと思います。
「本人無しでは何も決めない」・・・徹底していますね・・・・。
3:平等性が重視され、上下関係がないという原則のもとに進めれます。
「治療者が患者さんに指示する」ということは原則なされないようです。もちろん医師、看護師、心理師など専門性は保たれます。このことは、美しく聞こえますが、日本の患者さん、家族にしてみれば、物足りなく感じる可能性はあります。家で息子が現実離れしたことを言って暴れているような時、医師や看護師など数名のスタッフが家に来てくれる。そのこと自体は頼もしく感じるかもしれませんが、何もアドバイス的で導くような言動はなく、帰っていくからです。そして医師が中心というわけでもなく、誰かが責任者をやって、進行していきます。チームの中にもヒエラルキーは無いようです。会話の内容は、次の項目で触れます。
水平、ヒエラルキー無し・・・しかし専門性や役割はあり・・・最近のキーワードだね・・・。
4:開かれた会話、閉じない会話、オープンな会話。
説明が難しいのですが、まず、「開かれた質問」「オープン・クエスチョン」について説明します。イエス・ノーで答えられない質問のことです。「昨日は眠れましたか?」という質問は、「はい、眠れました」「いいえ、あんまりです」などで答えられます。これは「クローズドの(閉じた)質問」と呼ばれます。「昨日は気分はいかがでしたか?」の質問ですと、自分で答えを作らないといけません。後者の質問が「開かれた質問」とされます。オープン・ダイアローグでは、「結論、合意を重視しない立場」から会話が進められます。この「開かれた質問」のような質問を中心に進めてゆくようです。問題が起こって議論する時に、結論、合意を目指さず、専門家からのアドバイスも無いとはどういうことでしょう?
「開かれた対話」とは・・・?
身近な例で、ご主人が家事をしてくれないと奥さんが怒っている例を挙げてみます。お互いの言い分を聞いた上で「ご主人も週末の皿洗いくらい手伝ってください」と結論づけたとします。これは、「結論、合意、専門家からのアドバイス」などが入っています。あるいは、「奥様もご主人の仕事の大変さを分かってあげてください」と話したとします。これも同じく「結論、合意、アドバイス」を目指しています。「両方の言い分を聞いて、専門家が裁定を下し、方針を提案する」・・・よくあるパターンだと思います。そうするのではなく「奥様は、自分だけが家事をしてしんどいと感じていらっしゃるのですね・・・孤軍奮闘で苦しいと・・・」・・・「そう聞いてご主人はどう感じますか?」・・・「そのご主人の話を聞いて奥様はどう感じますか?」・・・など、結論なく深掘りしてゆく方向です。それである程度話が進んで、話が尽きてきたら、そこで終わる感じだと思います。家事の分担など決めません。どちらが良いとか悪いとか価値判断もしないと思います。このミーティングが終わった後、2人がどう過ごすのかは、2人に任されます。問題があれば、また呼ばれてミーティングを持つことが繰り返されるのだと思います。
「結論の無い会議」「オチの無い話」・・・「アドバイスが無い専門家」・・・一般的には、評価されないものよね・・・。
統合失調症の方の場合、妄想が語られることがありますが、それも臆せずどんどん話題にしてゆく方針だと書いてあり、衝撃を受けました。日本の精神医療教育では、「妄想は訂正が不能である」「そこを話題にすると、感情的になり、関係が悪化し、治療が進まなくなるので、あまり触れず、否定もせずにつかず離れず経過を追え」「妄想が出てくるのは、不安やストレスなどがあるはずだから、妄想と対峙するのではなく、そちらに対処せよ」と教えられることが一般的だったと思います。また心理師の教育では、妄想が出てくると、精神科医の領域だから医師に紹介して、深入りしないようにとされてきていたのでは無いでしょうか?しかし、この治療では、踏み込んでいくようです。
「妄想」にもオープンに向き合う!
「CIAに盗聴されているとどうして思うのですか?」「息子さんが盗聴器を探している時、お母さんは、何か困ることがありますか?」「どこの部分をCIAに目をつけられているのでしょう?」「皆さん、今のお話を理解できますか?」など、話を展開させていくのだと思います。「一般の民間人にCIAは・・・」など現実を突きつける方向(結論、合意の方向)には行かないように気をつけながら、臆せず話を展開させてゆくのだと思います。「気持ちが高ぶっていると思うので安定剤を少し飲んだ方がいいのでは無いでしょうか」という方向にも行かないように気をつけるのだと思います。勇気と技術のいることだと思いますが、成果が上がっているデータが出ています。
5:リフレクティング
「リフレクト」とは、「水面などに映す、映し出す、反射する」などの意味です。一通り会話が終わった後や、区切りがあった方が良いとスタッフが感じたところで、治療スタッフだけで、話し合います。それこそカンファレンスのようなのですが、決定的に異なるところは、本人や家族の前で話し合われるのです。自分のこと、自分たちのことを専門家が噂話のように話しているのをリアルタイムで聞くのだそうです。これも衝撃的な内容でした。「ご本人は、・・・ということで苦しんでいるのですね。そのことをお母さんは、違うように捉えているようですね。お父様も、何か役に立ちたいと思っていらっしゃるようですが、どうしたら良いかわからないので、忙しいと言って、無関心を装っていらっしゃるのですね・・・ここまでのお話で、我々はこう理解をまとめました。どうでしょうか?この話を聞いて何か感じるところをお聞かせください・・・」など、話をまとめて整理して、フィードバックすることもあるようです。それでまた会話に戻っていったりするようです。
このリフレクティングには、「話す」時間帯と「聞く」時間帯を切り分けることで、「言いたいことを話し切る。遮られずに、最後まで話す」体験と、「相手の話、言い分を最後まで聴き切る」ことができることを目指す意味も含まれているとのことです。なるほどと思います。
今の世の中、人の話を遮って、大きな声で言いまかしたり、論点をすり替得たりして「論破する」ことが、優秀な人間みたいな風潮がなきにしもあらずです。テレビのトーク番組の影響もあるかもしれません。テレビだと時間が制限されているので、仕方無い面もありますが、恣意的に司会者が、自分の意見と反する意見を制限しているように感じられることもあります。そういうものとは、全く異なり、自己主張するのではなく、相手を、全員を徹底的に水平目線で大切にして、丁寧に話し合ってゆくミーティングです。今の世の中で失われていったものを取り返すことにも繋がりそうです。あまりに成果、結果、結論、効率が求められて、大企業ですら、追い込まれて不正を働く世の中になってきました。大きな話になりましたが、この治療法には、これから生きてゆく上でのヒントがあるように思います。
6:まとめ
まとめると、何か精神的なトラブルが起こり、そこの家庭から治療チームに依頼があれば、すぐにチームで会いにいく。そして、問題を徹底的に全員で話し合う。チームは、結論を導いて、アドバイスなどはせず、傾聴、展開に努める。ヒエラルキーなど無く、水平に話し合う。患者さんの本人抜きでは、何も決めず、透明性を保ち、行なってゆく。専門家だけの話し合いをもち、それをリアルタイムで患者さん、家族に聞いてもらう。次に依頼があれば、同じことを毎日でも繰り返してゆく。
「オープン」も多義的な感じですね・・・「オープンに話し合う」「開かれた対話」「誰にでも開かれている・・・」などなど・・・他にもあるかな・・・?
非常に良く考えられていて、練り上げられている印象を受けます。徹底した透明性、水平性は感じられますが、何かイデオロギー的なものは感じません。ただひたすら「素直に」、「誠実に」、「お互いを尊重し合って、困り事に皆で取り組んでいこう」という姿勢を感じます。どの疾患にも明らかに有効だと思います。治療のメカニズムは、上記に集団療法の治療因子もあると思うのですが、私は、後述の「洞察型精神療法」の治癒のメカニズムと通ずるものがある気がします。これは私説であり、色々な意見があるでしょう。そのことに関しては、後に触れる予定です。
この治療法には「不確実性に耐える力をつける」という狙いもあるようです。どうしても私たちは、不安になると結論を急ぐ傾向があります。先行き不安な状況を抱えながら、皆できちんと向き合って話し合ってゆく。そうすると自ずと道がひらけてくるということでしょうか?
有効なのは分かりますが、日本の医療制度でどう実践するのか?経済的には成り立つのか?などと考えると難しいと言わざるを得ません。電話をもらって、医師や看護師、心理師、精神保健福祉士などが、すぐに駆けつけられるのか?同じメンバーで毎日、そこに行けるのか?など考えると、皆、シフト制や、職場の掛け持ちなどで動き回っている医療スタッフの生活を想像すると、う〜ん・・・・と唸らざるを得ません。全く原則通りにしなくても、良いのかもしれませんし、思い切って始めてみれば案外回り始めるのかもしれません。少しずつ実践は広がっているようです。今後の展開が望まれます。
「オープンダイアローグとは何か」斎藤 環 著・訳 医学書院
理論的な背景から実際の会話まで紹介してあります。
「感じるオープンダイアローグ」森川すいめい 著 講談社現代新書
森川先生の本は、実体験に基づいて書かれていて、分かりやすく、心に染みる内容でした。